まるく堂の〇〇やろうぜ!

ニュースや日々の生活において思う事を綴っていくブログです。

「自己責任」って、どうやって責任を取るのが望ましいのだろうか…?

スポンサーリンク

こんばんは!まるく堂です!

 

最近はシリアのテロリストから3年4か月ぶりに解放された、

安田純平さんの話題で持ちきりですね!!

www.bbc.com

 

3年4か月という気の遠くなるような年月を拘束されつつも、

何とか無事に解放されたのは本当に良かったと思います。

 

まあ、そうは言いつつもいくつかの懸念はあります。

もしもニュースにあった様に、水面下でカタール政府や日本政府が

身代金を支払ったのであれば、テロリストに「日本人は金になる」と言う

危険な前例を作ってしまった事になりますし、

渡った資金により、彼らはもっと強力な武器を購入する事でしょう。

現地にいる日本人記者達が何人いるのかはわかりませんが、

より危うい立場になりつつあるとも言えます。

 

また安田さん自身も、日本政府により再三、渡航に関して警告を受けたにも関わらず、

それを振り切ってシリアに飛び、捕まってしまった事や、

人質にされていた最中に配信された動画で「私は韓国人です」という意図不明な事を話されていた事、

更には、下記の記事で書かれている様に、3年半も拘束や虐待が続いていたのにも関わらず、安田さんの体に暴行の跡や痣が無い事に疑念が持たれています。

news.nifty.com

確かにヒドい虐待を受けたにしては、腕なんかも綺麗なんですよね。

特に歯は、毎日歯磨きなどさせてもらえない可能性もあるので、

人質の方はボロボロになる事が多い様ですが、安田さんのは健康に見えます。

 

もしも、普通の生活できるくらい好待遇だったら、

かなり人道的で平和主義なテロリスト…ですよね?

(↑言ってること矛盾してね?)

 

とは言え…

本当に拘束されていたのか否かは、私に判断できるモノでもないので、

今回は「安田さんが本当に拘束されていた」という前提で

書いていきたいと思いますので、ご了承ください。

 

「自己責任」での責任の取り方を考える…

安田さん誘拐を受けて、巷では再び「自己責任論」が話題になっていますね。

 

「自己責任」、多くは再三の警告にも関わらず海外の危険地帯に向かい、

案の定、拉致や誘拐をされた場合に問われるワードですよね。

ただ、「自己責任」っていったいどうすれば「責任を取った」と言えるんでしょうね?

f:id:marukudo:20181018194510j:plain

例えば、安田さんの様に政府が警告したにも関わらず、危険地帯へ出向き、

そこで誘拐されてしまったとして、

政府が何も救助策を取らず「自分で何とか助かって下さい」と

見捨てる方針を打ち出されてしまうのが「自己責任」なのでしょうか?

 

ニュースを見てると安田さんは日本政府がお嫌いらしく、

過去の発言からは「助けは要らない」というスタンスを取ってる様ですが…

 

↓下記記事では日本政府が海外で人質になった邦人を救助する義務があるかどうかに触れています。

www.excite.co.jp

基本的にはそれを明文化している法律は無いみたいですし、

海外の邦人を救助するには、必然的に武装しなければならないので

それは違法になるようですね。

 

ただ、だからと言って日本政府が邦人を見捨てる立場を取ると言うのは、

人道上なかなか難しいのではないでしょうか?

今回の安田さんの事件でも、水面下では何らかの交渉は行なわれていた(らしい)ですし…

なので、「見捨てられる」という自己責任の取り方は、

多かれ少なかれ政府は動かざるを得ないでしょうし、

ほとんど不可能かと思います。

 

「自己責任」…

他にどういった責任の取り方がありますかね?

 

これも例えばなんですが…

調査費用とか身代金と言った「お金」を後々にご本人に請求して、

それを払っていく事が「責任を取る」って事なのでしょうかね?

ただ、それも莫大な金額になるでしょうし、せっかく助かってもその後の人生は地獄かも知れません。

また、もしもご本人が死亡した場合、その費用は家族や親類が支払うのでしょうか?

ご家族にしてみれば、血縁者が亡くなっただけでも悲しいのに、

さらに多大な金額を請求されるのも悲惨です…

それだと「自己責任」どころか「連帯責任」になってしまいますよね…?

 

危険地帯へむかうジャーナリスト全員が全員に「自己責任」を問えるか?

独裁政治等の関係で、あまりメディアが発達していない海外の人達が政治的に酷く虐待されてたり、

残虐な行為を繰り返されたりしていても、徹底的に情報封鎖されていたとしたら、

誰かがその悲惨な内情を伝えない限り、永遠に外部に知られることはありません。

 

シリアの様な危険地帯に取材に行くジャーナリストの方々は、

きっと「自分が報道しなければ誰がやるのか?」

そうした使命感に燃える方々が多いハズです。

 

そうした、正義感のために危険地帯へ行く記者達。

もしも彼らが誘拐・拉致されてしまった場合に、

「自己責任」で突き放すのも、ちょっと可哀想にも思えてきますよね。

 

どんなにベテランの記者だったとしても、

どんなに安全とされるルートを通り、ベテランガイドを雇い、武装していたとしても

誘拐される時はされてしまうと思うんですよ…

完全な安心なんてないからこその「危険地帯」ですから…

 

実は、海外では今年だけで71人ものジャーナリストが殺害されている様です…

news.yahoo.co.jp

もしかしたら、普段、何気なく読んでいる海外のニュースは、

名も無きジャーナリストの方がそれこそ命がけで入手した情報なのかも知れません。

 

あくまでも個人的な意見なのですが

さすがに犠牲となった方々に「自己責任」と言うのはあまりに「鬼」過ぎますよね…

 

うーん、こうして考えて見ると、

例えば、「貴重な情報を入手した」と言った「成果」があれば、

誘拐されたとしても「自己責任」は問われなくなるのでしょうかね?

 

「自己責任」…

考えれば考える程、ごちゃごちゃしてしまい、

結局、上手くまとめられませんでした…スミマセン…

 

このグダグダの責任は…

私が取らなければならないのでしょうか?

(↑そりゃそーだろ…)

 

以上です…