まるく堂の〇〇やろうぜ!

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脚本家が陥りやすい心理的なワナとは…?

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ドラマ「セクシー田中さん」を巡る悲劇…

こんばんは!まるく堂です!

非常にショッキングなニュースから2日ほどが経過しました…

news.tv-asahi.co.jp

2023年末に放送された日本テレビ系ドラマ「セクシー田中さん」の原作者で漫画家の芦原妃名子(あしはら ひなこ)さん。

2024年1月29日、栃木県のダムで死亡しているのが発見されたとの事です。

 

芦原妃名子さんはドラマ「セクシー田中さん」を巡ってとある脚本家Aさんとの間でトラブルがあったことが報じられていました。

その最中での出来事だったので、個人的にもとてもショックが大きかったです。

 

↓このブログで詳細を書く事は省きますが、詳しく知りたい方はコチラのブログをお読みください。

fujimedia22.com

 

ドラマを製作する際に原作(小説や漫画etc)が存在する場合、

古くから「原作者サイド」と「ドラマ製作サイド」の間ではトラブルが発生することもよくある様です。

↓2015年に書いたコチラの記事では映像化された作品に対し、作者の方が不満を漏らした作品を紹介しています。

marukudo.hatenablog.com

ただ、今回の様にトラブルにより原作者さんが亡くなってしまうというケースは、前代未聞であると思いますし、決してあってはならない事でとても残念に思います。

 

今回、トラブルの元となったそもそものきっかけは、脚本家Aさんが書いたインスタグラムの内容だと推測されています。その内容は、ドラマ「セクシー田中さん」において、自分が書いたのは1~8話であった事、9~10話は原作者である芦原さんが書かれていた事を強調し、ドラマの不評部分はまるで原作者さんのせいだと示唆されるような文章であった事。

またその投稿記事のハッシュタグ(#)には、出演されていた俳優さんや作品名はあっても、原作者である芦原妃名子さんのお名前が一切掲載されていなかった事からも、何らかのトラブルや感情的に何かあった事は想像に難くありません。

(現在、脚本家Aさんのインスタグラムは鍵アカとなっており、閲覧不可能の状態になっています。)

 

私個人としては、こうした内容に思うところはあるのですが、

特定の個人を誹謗中傷する様な事はしたくありません。

誰かを責めたところで亡くなった方は帰ってはきませんし、

芦原さんが「X」で最後に残した

「攻撃したかったわけじゃなくて。ごめんなさい。」と言う言葉を受け止めたいとも思ったからです。

 

脚本家が陥りがちな心理的なワナ

ただ、芦原さんのブログ(現在は削除されています。)でドラマ「セクシー田中さん」の脚本に携わった経緯を読んで感じた事がありまして…

一つは「脚本家」と言うお仕事の構造そのものが原作者と軋轢を生みやすいのではないか?とも思ったんです。

と言うのも、脚本家さんのお仕事は誰かが書いた原作の物語を、異なるメディア形式であるドラマに適した形に再構築する事にあります。

しかし、脚本家さんは以下の様な心理に陥りやすくなると私は思っています。

 

クリエイティブな自立性の追求

脚本家ももちろんクリエイターの一人ですから、自身の独自のビジョンを表現したいという強い願望を持っています。これは、原作に忠実であることと自分の創造性を発揮することの間で葛藤を生む可能性があります。

 

時間とプレッシャー

締め切りや制作スケジュールのプレッシャーの下で、脚本家は効率的に作業を進める必要があります。これにより、原作を深く理解し、原作者と十分にコミュニケーションを取る時間が制限されることがあります。

 

多様な役職者からの要求に答えるプレッシャー

プロデューサー、監督、放送局など、多くの人達が関与するプロジェクトでは、それぞれが異なる要求や期待を持っています。時には矛盾する様な事態もあるかも知れません。脚本家はこれらの要求を満たすために原作から逸脱することを強いられる場合もあるでしょう。

 

市場と視聴者の期待

脚本家は市場のトレンドや視聴者の期待を意識して作品を作る必要があります。これが原作の精神やメッセージと異なる方向性で進めることがあります。

 

個人的な解釈と原作との衝突

脚本家は原作を自分なりに解釈し、それを芸術的に表現したいと考えます。しかし、この個人的な解釈が原作者の意図やビジョンと衝突することがあります。

 

キャリアと評価のプレッシャー

成功した脚本家であればあるほど、自分自身のやり方に自信を持つようになりますし、自分のやり方が正しいと思いがちになります。

また、これまで培ってきた名声やキャリアを守るためのプレッシャーも存在します。これにより、原作よりも自己のスタイルやブランドを優先する傾向が生じる可能性があります。

 

以上のような心理が脚本家に働きやすい環境の中で、

芦原さんのケースでは製作サイドとの直接的なコミュニケーションの欠如が、最終的に悲劇に繋がったと考えられます。

芦原さんのブログからは、彼女が原作の精神を守り、作品に対する深い愛情と責任感を持っていたことが伺えます。しかし、その熱意が製作プロセスにおいて適切に伝わらず、彼女の声が聞かれる機会がなかったことが、大きな問題となりました。

製作サイドとの直接的な対話がなかったことで、芦原さんは自らの作品が自分の手を離れ、自分の意図しない方向に進んでいくのをただ見守るしかなかったのです。このような状況は、クリエイターにとって非常に苦痛なものであり、彼女の創作に対する情熱とプライドを深く傷つけるものでした。原作の作者として、自分の作品がどのように扱われるかについて発言権を持てないことは、彼女にとって大きなストレスとなったと考えられます。

何の願いも聞き入れられず、最終的に芦原さんはご自身で脚本を書くことにしました。

しかし、自分の漫画連載も持つ中で、慣れない脚本を書き上げる事はいかに大変だった事か…。それは確実に芦原さんの精神力と体力をむしばんでいった事でしょう。

条件付きでOKしたはずのドラマが一切その約束を守られずに、自分の思惑と違うドラマに仕上がりつつあるのを目の当たりにした芦原さんはどれほど苦悩した事でしょうか?

 

この事例は、原作者と製作サイドとの間でオープンなコミュニケーションがいかに重要であるかを示しています。

もしも、一度だけでも話し合いの場が設けられていれば…

もしも、一度だけでも脚本家さんが原作者さんの気持ち寄り添っていたならば…

芦原さんの意見やビジョンが尊重され、彼女が納得できる形で作品が製作された可能性もあったはずですし、今日の様な悲劇も起こらなかった可能性も高かったと思います。

また、製作プロセスにおいて、ある程度の透明性が保たれていれば、彼女が感じたであろう無力感や孤立感も軽減することができたかもしれません。

 

最終的に、この悲劇は、クリエイティブな作品を取り巻く業界において、原作者の声を尊重し、彼らのメッセージ性やビジョンを製作プロセスに組み込むことの重要性を改めて浮き彫りにしました。

今後は、より原作者と製作サイドが協力できる様な、互いの意見を尊重できるような、より豊かで多様なクリエイティブな作品が生まれる環境になっていくと思います。

ただ、その変化を実現するために、本当に一人の素晴らしい漫画家が命を投げ出さねばならなかったのか?と思わずにはいられません…

 

以上です…